Kyoto tsu
京都通
- 2009/9/5
第142回 虚空蔵法輪寺『忘れ去られた重陽の節句を求めて』
9月9日は一番めでたい節句なんえ
名勝嵐山の中腹に佇む虚空蔵法輪寺。
奈良時代(713年)に元明天皇の勅願によって行基が創建したのが始まりです。
最寄駅から10分程度にありながら、観光地の喧騒を忘れさせてくれる山の緑に包まれて建ち、有名な渡月橋を見下ろす美しい嵐山の景色を眺められます。
こちらでは、今では珍しくなってしまった重陽の節句を「重陽の節会」として脈々と執り行ってきました。
そもそも節句とは、何でしょうか。
もともとは中国から入ってきた暦法で、暦の上で奇数が重なる日を取り出したものです。
3月3日の「桃の節句」、5月5日の「端午の節句」、7月7日の「七夕」、そして1月1日だけは正月のため別格で、1月7日が「人日(じんじつ)の節句」になります。
こちらは名前こそ知らなくても「七草粥を食べる日」として、まだ風習が残っていますね。
でも、なぜ暦の上で奇数が重なる日を「節句」としたのでしょうか。
これには陰陽道が深く関わっています。
陰陽道では、偶数を陰数として嫌い、奇数を陽数として好むという思想があります。
9というのは、その陽数の中でも最大の数であり、この9が重なる9月9日は大変めでたい日とされました。
そして、ひとつの説としては、陽数が重なると陰となるとして、それを避けるための行事が行われたともいわれています。
このような思想が日本に入ってきて、もともとあった日本の四季や風習が混ざり合い、節句として宮中などで邪気を払うための宴会が催されるようになったようです。
お払いと宴会がセットになっているのには、やや疑問もよぎりそうですが、虚空蔵法輪寺で副住職をされている藤本様いわく「法事の後に、宴会をするのと同じです」との言葉で、思わず納得。
今も昔も人間の行動パターンは変わらないのかもしれませんね。
菊には不老長寿の霊力があるんえ
副住職の藤本様によれば、9月9日は旧暦でいうと農作物の収穫の時期であり、その豊穣を祈ったとともに、長寿を祈る風習が生まれたそうです。
なぜ長寿なのかというと、重陽の節句は、「菊の節句」ともいわれ、この菊の精を飲めば長寿を得たという中国の故事がたくさんあるためです。
その故事が日本に伝わり、重陽の節句では菊が用いられるようになりました。
菊には特別な精や霊力が宿っていると考えられていた上、旧暦では菊がちょうど旬の時期。
そのため、日本でも奈良時代から、菊花酒を飲み、菊を鑑賞するなどして長寿を願い、災難を払う宴が宮中で開かれるようになったのです。
虚空蔵法輪寺でも、「重陽の節会」の9月9日になると、菊の花が献花され、菊酒がふるまわれます。
「菊慈童」という子どもサイズのお人形を祭り、この菊慈童と同じ着物を着た能『枕慈童』の舞も奉納されます。
13時頃から1日1回だけ、20分ほどの能舞台ですが、大勢の方が毎年参拝とともに訪れるそうです。
この『枕慈童』とは、自分が仕えていた主人の枕を誤ってまたいでしまい、そのお咎めが怖くて山に逃げ、そこで仙人に会い、菊のパワーをもらって長寿を得たというお話です。
これも中国の故事にまつわるようです。
中国で菊は不老長寿の花「霊草」として珍重され、実際に漢方薬にもなっていますね。
もちろん不老長寿の薬としてではなく、眼精疲労などによいといわれる漢方薬のようですが。
また、中国には菊花茶という菊の花を乾燥させたお茶もあります。
なかなか虚空蔵法輪寺まで参拝できなかったとしても、重陽の節句には菊の花を飾り、酒に菊の花を浮かべて飲んだり、菊花茶を飲んだりして、季節を感じるひとときをこの日に持てるといいですね。
節句の文化は時代に翻弄されるもんどす
この「重陽の節会」では、菜萸(ぐみ)房を飾って邪気を払う習わしもあり、9月9日だけ特別に「菜萸袋」というお守りも販売されます。
これは菜萸を入れた袋を身に付けていると災いが消えるという、故事にちなんでいます。
また、「着綿(きせわた)」という行事もあります。
これは、重陽の節句の前日に菊の花に綿を載せてその露を吸い取り、節句の日に、この綿で体を拭くと長寿を保てるというものです。
新暦になってからは9月といってもまだ暑いので、自然に露を集めることはできませんが、形式だけ受け継がれています。
このように長寿にまつわる故事が多く残されているのは、それだけ長生きを願う気持ちが人間にとって永遠のテーマだからでしょう。
しかし、なぜ重陽の節句の風習は、現在ではほとんど残っていないのでしょうか。
その原因は、時代の変化と大きく関係しています。
平安時代の終わりになると武士の台頭によって公家社会は崩れ、戦乱や災害、飢饉などで世の中は荒廃し始めます。
その結果、宴を開くどころの状況ではなくなり、重陽の節句を祝う風習は消えていきました。
また、その頃は末法思想も広まったことで、現世より来世を願う思想が高まり、現世で長寿を祝うという考えがなじまなくなったとも考えられています。
虚空蔵法輪寺で重陽の節句の風習が残ったのは、都はかなり荒廃していたのに対し、嵐山はそこまで影響をうけていなかったからだろうと推測されています。
現在では、一部の寺や地方でしか重陽の節句は残っていませんが、最近になって復活した寺などもあるそうです。
多彩な娯楽を手軽に楽しめる時代になりましたが、逆に季節の移り変わりなどをほっこりと感じられる機会は減った気がします。
このご紹介で、日本の豊かな文化ともいえる節句に、少しでもふれるきっかけになれば幸いです。
取材協力 : 虚空蔵法輪寺
〒616-0006 京都市西京区嵐山虚空蔵山町16
電話番号 : (075)862-0013