Kyoto tsu
京都通
- 2009/10/24
第149回 金福寺『芭蕉が訪れ、蕪村が眠る俳句の聖地』
芭蕉が尊敬する鉄斎和尚が再興されました
春はサツキが咲きほこり、秋は美しい紅葉が楽しめる金福寺。
門を入ると、ツワブキやキンシバイなど、手入れされた木々が迎えてくれます。
受付前にぶらさがった打板(ちょうはん)を、木槌でぽこっと叩くと、ご住職が出てきてくれます。
本堂は畳敷きになっていて、田舎の家に遊びに来たよう。
堂内を風が吹き抜けるとカーテンがはためいて、家庭的な雰囲気がたっぷりです。
そこにぺたりと座りこんでいると、縁側から猫が座敷にあがりこみ、そばで昼寝を始めます。
ご本尊の前でもおかまいなし。
全ての生き物に優しい仏の心を、猫も感じているのでしょうか。
ここだけ時間が止まったかのようなゆるさもまた魅力。心の底からくつろげます。
本堂の縁側から枯山水のお庭を眺め、東山の方を見上げると、小高い丘の上に、小さな庵が佇んでいるのが目に入ります。
俳人、松尾芭蕉がかつて訪れた「芭蕉庵」です。
貞観6年、天台宗の寺院として建立された佛日山金福寺は、平安時代から江戸時代へと時代がくだるにつれ、荒廃してしまいました。
そこで、近くの円光寺におられた前述の鉄舟和尚が、金福寺の再興に尽力、臨済宗南禅寺派のお寺として蘇えりました。
そんな鉄舟和尚を訪ねて、この寺にやってきたのが松尾芭蕉。
二人は親交を深め、鉄舟和尚は芭蕉をもてなした庵を「芭蕉庵」と名付けその高風をいつまでもしのんでおられました。
庵のそばには、「翁之水」と呼ばれる、かつて鉄舟和尚が芭蕉をもてなしたと伝えられる井戸跡も残っています。
都会の喧噪を眼下に残し、木々に囲まれた高台にひっそりと佇む芭蕉庵。
松尾芭蕉はここで、「憂き我を さびしがらせよ 閑古鳥」という句を詠んだと伝えられています。
「物憂い、メランコリーな自分を、閑古鳥よ、さらにさびしがらせておくれ、といった意味です。
自然と向き合って、その情景を描き出す、芭蕉らしい句ですね」とご住職。
この句からも、ここがいかに静寂な地であったかを伺い知ることができます。
与謝蕪村もここに眠っておられます
ここはまた与謝蕪村永眠の地としても知られています。
芭蕉が訪れたのち、月日が流れ、翌世紀になると、芭蕉庵は荒れ果ててしまったそうです。
そこへ訪れたのが、松尾芭蕉を尊敬してやまない与謝蕪村でした。
蕪村は、庵の荒廃を惜しみ、芭蕉庵を再興します。
その主旨を書き記した俳文「洛東芭蕉庵再興記」は、今もこの寺に伝わり、大学などで俳文学の教材として用いられています。
本堂に展示され、芭蕉庵の裏手には全文を記した案内板も立っています。
蕪村は一門たちとこの庵で句会をしばしば催しました。
この頃、俳句の世界では、世俗化した俳人たちが増えていたのだそうです。
与謝蕪村はそんな俳壇を憂い、「蕉風」と呼ばれる、芭蕉の俳風の復興を唱え、俳句の革新をめざしました。
本堂の床の間には、蕪村が描いた松尾芭蕉の肖像画がかかっています。
蕪村がどれほど松尾芭蕉を敬慕していたかがわかります。
芭蕉庵のそばには、京都名木100選に選ばれた、樹齢300年のヤマモモの大樹がどっしりと構えていました。
蕪村が庵を再興した200年前の安永の頃から、ここで歴史を眺めてきたのでしょう。
蕪村はまた、ここに「芭蕉の碑」を建立することに力を注ぎました。
この時に蕪村が詠んだ句が、「我も死して 碑に辺(ほとり)せむ 枯尾花」というもの。
蕪村の没後、弟子たちは、師の気持ちをくみ、この句の通りに、芭蕉の石碑のそばに師の遺骨を納めました。
現在、金福寺には、日本全国から、俳人が集まってきます。
「俳句の上達を願って、蕪村の墓にお参りに来られるんです。
何度も訪れる方もいらっしゃいますよ。
蕪村研究家、愛好家も多く、命日には花を携えて来られる方、蕪村の論文の完成を報告し、墓前に置いて帰る研究者とさまざま。
ここにお参りすると俳句がうまくなりますよ、と申し上げております」
与謝蕪村のお墓は、京都市街と芭蕉庵を見守るかのような丘の上で、門弟たちのお墓に囲まれて佇んでいます。
丘からは、冬は雪に覆われ、白く輝く愛宕山が、はるか彼方に見えるそうです。
秋の紅葉はもちろん、冬訪れても美しい景色が堪能できそうですね。
このお寺で読まれた俳句が数多くあります
「蕪村は、生涯3000句もの俳句を作ったと言われています。
なかでも、春の句には有名なものが多いのでご存じの方も多いことでしょう」とご住職が詠んでくださったものが、
「春の海 終日(ひねもす) のたりのたりかな」
「菜の花や 月は東に 日は西に」
みなさんにもきっとなじみがあることでしょう。
与謝蕪村は俳人であると同時に画家でもありました。
そのため絵画的な句を多く残しているそうです。
画家であることを教えてくれるエピソードがあります。
金福寺での句会の帰りに、門弟たちと飲みに行った蕪村は、弟子に請われて、一句したためました。
「筏士の 蓑やあらしの 花衣」。
さらに、花が散りかかった蓑を着て筏(いかだ)を漕いでいる様を、さっと俳画で描いたそうです。
「中国の漢詩、日本の古典文学、徒然草、平家物語など、万巻の書を読み、美的感覚を磨いた」という彼の句は、春以外でも、四季それぞれの美しい情景が浮かんできて、画家ならではの感性を感じさせます。
なかでも、ここ、金福寺で詠んだ一句、「三度啼きて 聞こえずなりぬ 鹿の声」は、晩秋のさびしい情景を詠った句。
「今でも、紅葉の頃にお寺の周辺を歩いていると、『ピー』と笛を吹いているような甲高い声で、野生の鹿が鳴いているのが聞こえます。
聞いたものでないとわからない、物悲しい声なんです。
蕪村が詠んだシカの子孫が、まだこの辺りに住んでいると思うと、感慨深いですね」
松尾芭蕉、与謝蕪村、ほか蕪村一門の俳人たちが詠んだ句は、境内のいたるところで、石碑に刻まれているのを見つけることができるでしょう。
これらを巡りながら、そこに描かれた風景を、実体験として感じてみてはいかがでしょうか。
かつての芸術家が人里を離れて、ひっそりと暮らし、偉大な作品を残したように、静けさの漂う金福寺で、素敵な一句が生まれるかもしれませんね。
※紅葉シーズンは、相当な混雑が予想されます。
取材協力 : 金福寺
〒606-8157 京都市左京区一乗寺才形町20
電話番号 : (075)791-1666