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京都通

  • 2010/12/4

第207回 赤穂義士遺跡 瑞光院『山科に残された赤穂義士たちの痕跡』

ご縁があって山科に移転したんどす

JR・京都市営地下鉄・京阪電鉄山科駅より山の方に歩いていくと、まるで一軒の和風邸宅のような寺院「赤穂義士遺跡 瑞光院」が佇んでいます。
少し見つけにくいかもしれませんが、白壁の上にのぞく提灯で寺院であると気づかされます。

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創建は、慶長18年(1613年)。
山崎左馬亮家盛(やまざきさまのすけいえもり)が、大徳寺の琢甫(たくほ)和尚に開基させたのがはじまりです。
因幡国(いなばのくに)と呼ばれていた鳥取県で、家盛が因州若桜城(いんしゅうわかさじょう)の城主だった頃のこと。
創建当時は「伝正院(でんしょういん)」と称し、家盛の没後、その戒名にちなんで「瑞光院」と称するようになりました。
紫雲山(しうんざん)を号とし、臨済宗大徳寺派に属しています。

創建当時の場所は、現在同院がある山科でなく、上京区の堀川鞍馬口、豊臣秀吉の家臣であった浅野長政の下屋敷(別荘のこと)の跡地にありました。
なぜ、家盛がこの地に同院を建てたのかははっきりしていませんが、家盛の家系は、長政の本家から分家した家柄だったことと関係しているのでしょう。
それが昭和37年(1962年)、隣接する大企業の社屋拡張の依頼に応じ、寺領を譲ることになった経緯から、山科へ移転されました。

なぜ山科だったのかご住職に尋ねてみると、「たまたまご縁があったから」とのこと。
しかし、そこに運命的なものを感じてしまう方がいらっしゃれば、忠臣蔵をよく知る方といえますね。

安産祈願で由緒ある神さんもいたはりますえ

扉を開けて入ってみると、すぐ横に「浅野稲荷(あさのいなり)」が鎮守されています。
浅野稲荷の歴史はさらに古く、平安時代前期、清和天皇誕生までさかのぼります。
朝野宿祢魚養(あさのすくねなかひ)という公家が、清和天皇が生まれた時に母親の胎内から排出された膜や胎盤などを埋め、社を建てたのがはじまりです。

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かつては、「"朝野"稲荷」と称していました。
叱枳尼尊天(だきにそんてん)を祭神に祀っており、安産祈願のお参りをされる方も多いそうです。
この叱枳尼尊天の像の中からは、弘法大師空海の作と記したものが出てきています。
小さな社ですが、由緒正しい貴重なものだとわかります。

それから時が経ち、朝野稲荷が鎮守されている地に、浅野長政が下屋敷を建てたのです。
そのときに「浅野稲荷」と読み換えて鎮守しました。
その後、この地に瑞光院を建立する際、浅野稲荷も共に境内に残されたのです。

元禄初期(1688年~・江戸時代)、同院は赤穂浅野家の祈願寺になります。
赤穂藩主であった浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の正室である瑤泉院(ようぜんいん)が、同院の和尚と親戚関係にあったためです。
具体的には、瑤泉院の母親・寿光院(じゅこういん)が、同院の陽甫(ようほ)和尚の姪にあたるのです。
祈願寺になったことで、後に同院は赤穂義士たちのゆかりの地となっていきます。

主君への忠誠心が匂い立つ石塔どす

元禄14年(1701年)3月14日、赤穂藩主浅野内匠頭は、江戸城の松の廊下で吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)を斬りつけます。
その責任をとり浅野内匠頭は切腹。赤穂藩は取り潰しになり、浅野家は断絶。
赤穂藩の家老であった大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお、正式には「よしたか」)は、同年8月14日、瑞光院に浅野内匠頭の短刀と衣冠(いかん)を埋め、墓を建立します。

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その後、大石は帰京し、山科あたりに住んでいたと伝えられています。
仇討ちを悟られまいと茶をたしなんだり、遊郭へ行ったりして、裏では同志たちと同院などで密議を行っていたのだとか。

そして元禄15年(1702年)12月14日の深夜、いよいよ大石たち赤穂義士四十七士は、吉良屋敷に討ち入り。
これより赤穂義士たちに切腹が命じられ、元禄16年(1703年)2月4日、切腹します。

院主宗湫(そうしょう)和尚は、密かに宗海(そうかい)禅師を江戸につかわします。
宗海は切腹2日前に赤穂義士たちに会って遺髪や書状を持ち帰ります。
大石内蔵助が残した遺書ともいえる歌は版画にされ、今も同院に残されています。
そのときの歌が下記です。

「兎に角に(とにかくに) 思ハはるる 身の上に しばし迷いの 雲とてもなし」

院主宗湫和尚は、大石の遺志により義士たちの遺髪を主君浅野内匠頭の墓の側に埋め、石塔を建立します。
それが遺髪塔です。
ただ義士のうち寺坂吉衛門は切腹していないので、遺髪塔には刻名されていません。
また享保4年(1719年)2月、義士たちの17回忌に四十六士の墓碑も建立されています。

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ちなみに、この遺髪は、堀川通から山科に移転する際に確認されているそうです。
普段はあまり人が訪れない静かな境内ですが、毎年12月14日になると山科義士まつりが開催され、それにあわせて同院で法要が営まれています。

取材協力 : 赤穂義士遺跡 瑞光院
〒607-8005 京都市山科区安朱堂ノ後町19-2
電話番号 : (075)581-3803

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