Kyoto tsu
京都通
- 2019/4/19
第345回 檀王法林寺『日本最古の招き猫伝説が語り継がれる町衆憩いのだんのうさん』
"だんのうさん"と呼ばれ親しまれてるんどすえ
東海道五十三次の終着地である京都・三条大橋。
そのたもとにある檀王法林寺は浄土宗のお寺で、その正式名称を「朝陽山 栴檀王院 無上法林寺(ちょうようざん せんだんのういん むじょうほうりんじ)」といいます。
かつてここには念仏道場だった悟真寺(ごしんじ)がありましたが、応仁の乱をはじめとする度重なる天災・人災により焼失。
その跡地に檀王法林寺を新しく築いたのが袋中(たいちゅう)上人でした。
上人は磐城国(現在の福島県いわき市)に生まれ、14歳で出家すると、その後はさまざまな地で修行に励みました。
そして、51歳のとき、まだ日本に伝わっていない経論について学ぶため、琉球(現在の沖縄県)から明(当時の中国)に渡ることを決意します。
しかし、その思いは叶わず、京の都に戻った上人は、慶長16年(1611年)、この地に檀王法林寺を建立しました。
浄土念仏の教えとともに、寺域を拡張し寺院の基盤を固め、9年後には弟子の團王(だんのう)上人に寺を譲ります。
跡を継いだ團王上人は寺院興隆に尽力し、阿弥陀如来立像を本尊として阿弥陀堂(本堂)を建立し、寺域も現在の広さにまで拡大しました。
人徳も厚く、町衆信者との交流を深めた團王上人は、庶民から「だんのうさん」と呼ばれるようになり、いつしかお寺の名前も「だんのう」となったのだそうです。
元文3年(1738年)に大規模修理された本堂は、屋根を瓦葺き、内陣には須弥檀を拡張し、堂内外に彫刻を施すなど荘厳を極めたつくりになっており、その姿を現在に伝えています。
また、霊元天皇の養母であった東福門院の御位牌が祀られ、東福門院が徳川二代将軍秀忠の娘であったことから、皇室や徳川家との関係がさらに深まり、本堂再建の際には寺内に皇室の菊御紋、徳川家の三葉葵紋を使うことが許されるようになりました。
菊紋の獅子口の瓦が置かれた川端門は、霊元天王の第17皇子にあたる有栖川音仁親王によって寄進されたもので、赤門、開運門とも呼ばれ、京都市指定の重要文化財になっています。
ちなみに、楼門には四天王立像が安置されており、四体はそれぞれ平安後期時代や鎌倉時代など制作年が違う貴重なものとなっています。
参拝された際には、是非その圧巻の姿をご覧ください。
袋中上人の琉球での功績が受け継がれてるんやなぁ
檀王法林寺を開山した袋中上人は、多くの著作を残した思想家でもあり、明に渡って未渡の経典を持ち帰りたいという思いがありました。
そこで、慶長8年(1603年)、その意思を固めた上人は、兄の以八上人の反対を押し切って明への便船を求めて、長崎平戸より出国。
しかし、当時の混沌とした国際情勢は上人の入国を許さなかったため、明と友好関係があった琉球に上陸し、留まることになったのです。
琉球での滞在は3年におよび、その間、上人は浄土念仏の教化布教に努め、当時の琉球国王・尚寧王(しょうねいおう)は桂林寺(けいりんじ)を建立し、深く帰依されました。
琉球より帰国後、尚寧王から書棚やクバ団扇、鼎形香炉(かなえがたこうろ)、琉球椅子など30余りの宝物、そして尚寧王が描かれた「袋中上人図像」を贈られたことからも、2人の絆の深さがうかがえます。
これら宝物には16世紀前後の秀逸な琉球工芸品が多く含まれ、そのすべてが京都府の重要文化財になっています。
琉球での上人の布教活動は、それまでの難解な仏教に比べて、誰でも特別な修行なしに「ただ念仏をひたすらに唱えることによって救われる」という教えを説いたため、仏教が身近なものとして民衆に広がっていき、多くの人々に影響を与えました。
沖縄の伝統芸能として今に伝わるエイサーは、精霊送りの時に行われる盆踊りがもとになっているとされていますが、起源は上人が伝えた念仏踊りにあり、歌詞にも上人の教えが反映されているとされています。
現在、檀王法林寺に併設の「だん王保育園」では、沖縄から講師を招き、「だん王エイサー隊」を結成し、エイサー踊りの上達に励んでいます。
さらに、平成18年(2006年)に庫裏の屋根を修復した際には、玄関の小屋根の上に沖縄の守り神「シーサー」が奉られました。
また、5月には「沖縄フェスティバル」が、6月初めには沖縄で活躍しているミュージャンを招いて、ピースフルコンサートが行われるなど、檀王法林寺では縁の深い沖縄の関連イベントが多数行われています。
日本でも珍しい「右手招き猫」に福を授けてもらいまひょ
檀王法林寺には「主夜神(しゅやじん)」という神様が祀られています。
主夜は守夜と転じて、夜を守る神として崇められ、盗難や火災などを防いでくれるご利益のある神様です。
寺の縁起によると、慶長8年(1603年)3月15日、袋中上人の枕元に主夜神が現れ、「われは華厳経に説き給ひし婆珊婆演底主夜神なり。専修念仏の行者を擁護すべし」 と告げ、符を授けたと伝わっています。
慶長8年は上人が学問探求のため明に渡ろうとした年で、主夜神は海難から守ってくれる海の神様でもあることから、先行き不安な航海を決意した上人に大きな勇気を与えられたのかもしれません。
上人は帰国後も主夜神を信仰し、自らが建てた檀王法林寺に祀りました。
また、古くから猫は主夜神の御使いであるとされていたため、江戸中期より、主夜神の銘を刻んだ招福猫が作られ、民衆の間に受け入れられていたそうです。
右手を挙げ、霊力が強いとされる黒色をまとった珍しい「右手招き猫」は他が模作することを禁じられるほどで、寺社関連の招き猫としては最古のものとされています。
猫が主夜神の御使いに選ばれたのは、古くから、航海に出る際には猫を船に乗せ、大切な食糧をねずみの被害から守らせたり、長旅の癒しとして可愛がってきたからだといわれています。
毎年12月の第1土曜日(第2土曜の場合もあり)には「招福猫・主夜神大祭」が行われ、この日は秘仏である主夜神像が年に一度、御開帳され、参拝者には主夜神のお札と、厨子の中から見つかった古い招き猫(江戸後期)の復刻像が授けられます。
ちなみに、12月中は限定の御朱印をいただけるため、多くの参拝者が訪れます。
ほかにも、晴雨を司る神様として、日照りや水難から守ってくださる「龍神様」が祀られています。
加茂川龍神、または八大龍王とも呼ばれ、大昔に下鴨神社の社が流されてきて、その社の一本を使って龍神様を作り、祀ったともいわれています。
6月の第1土曜日には「加茂川龍神法要」が行われ、龍神様が御開帳されるとのことなので、その日に合わせて参拝してみてはいかがでしょうか。
取材協力 : 檀王法林寺
〒606-8387 京都府京都市左京区川端通三条上る法林寺門前町36
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